でこちゃん、春から小学生です。
まあびっくり。
最近メキメキと腕を上げています。
何が楽しいって、お話の中心が、「水の循環」。
流れ出た水が植物の茎を通って水に跳ね、最後は食物が乾かないように降り注いでいる、と。
目がバッテンの魚達が笑いを誘います。
それも良いけど、鳥が激ウマだよ!
でこちゃん、春から小学生です。
まあびっくり。
最近メキメキと腕を上げています。
何が楽しいって、お話の中心が、「水の循環」。
流れ出た水が植物の茎を通って水に跳ね、最後は食物が乾かないように降り注いでいる、と。
目がバッテンの魚達が笑いを誘います。
それも良いけど、鳥が激ウマだよ!
だいぶ前になってしまいましたが、先日の、保護者会。
園での子ども達の様子が様々伝えられるなか、後半、先生が言っていたこと
「ほしぐみの子ども達は、泣いて訴えることが多い。泣くんじゃなくて、言葉で伝えられるようになろうねって、言っています」
そうですね。
私も、4歳児さんはそうであって欲しいと思っています。
でもなんか違和感。
モヤモヤモヤ
本当に伝えたいことがある時、
伝えたいことがあるのに、どんな風に伝えたら良いのかわからない時、
伝えるのが恥ずかしい時、
気持ちが混乱している時、、、
私だったら、黙ってしまうなあ
なんならその場を立ち去ってしまうかも
それで後になってブツブツ文句を言ってしまったりして!
でも、子どもは泣けるから
泣いて気持ちを伝えられるから
だから、泣いたって良いじゃない。
むしろ、泣けるって良いじゃない。
声を出して泣けるって良いじゃない!
泣いてたって伝わらないと言うけれど、黙っていたら、もっと伝わらない。
つらいよ
困っているよ
混乱しているよ
子どもは大人より、素直で正しい生き物だと思います
心のままに生きている。
でこちゃんは、あんまり泣きません。
でこちゃんが泣く時は、音もなく静かに、後ろを向いて、そして自分で鼻をかんで、そしてそっとティッシュをゴミ箱に捨てに行く。
そういう泣き方をする。
母は意外に見ているんです
(でも本人はあまり見られたくないらしい)
最近色々と悩みの尽きないでこちゃんが「保育園ではたまに泣いちゃう」なんて言うので、
「泣きたい時は、どんどん泣きな!」と言ってしまった
でも保護者会での先生の言葉を思い出して、
「でも、泣いた後には、どうして泣いちゃったのかを教えてね」と、慌てて言い足しました。
園と家庭は違う。
先生と親の立場は違う。
でも、
泣かれたら面倒、というのは大人の都合で、本当は、溢れ出る感情を止められないのは、自然なことなんじゃないかなあ、と思うのです
子どもが、素直に気持ちを発信できる権利を、奪ってはいけない。
でも、
朝から晩まで30人のうち誰かがいつもビービー泣いてたら、先生だって泣けちゃうわ
言葉で伝え合って、分かり合えたら良いよね。
多様な子ども達が存在する中で
一人ひとりに寄り添おうとしてくださる先生方には、本当に感謝しています
でもどうか
声を出して泣けない子どもが
不安の中に置いてけぼりになりませんように。
「気にならない子」の支援が
後回しになりませんように。
母は毎日、届くか届かないかわからないくらい小さな声で、でこちゃんを応援しています
そしていつも、でこちゃんへのエールは、子どもだった自分へのエールでもあるのです
ところでその保護者会の時に見たみんなの描画作品。
あれこれコメントが飛び交う中で「でこちゃんのが1番うまいわ」と心の中で思っていた母の最近の一押しの一枚(園で描いた絵ではありません)。
「キリンに乗るお母さんを見ているでこちゃん(後ろ姿)」
後ろ姿に哀愁漂う・・・
子どもが欲しがらない物を
親が欲しがってはいけない
でも
「こと」はこの限りではない
オードリーの本を読んだら、なんとなくそんな風に思いました
まだ全然春じゃないですが、
でこちゃんがお雛様を飾っていました
センスあるっ
デコちゃんの髪は、おしりまであるロングヘアー
最初は親の気分で伸ばしていたけど、今は本人の意思で切らずにいる
(でもこの間、毛先だけちょっと切った)
ヘアドネーション、というのがありますね
たまにネットニュースで
小学生の男の子が、周りにからかわれながらも髪を伸ばして、そしてバッサリと切ってヘアドネーションをしました
というのを見かけます
もし今後、デコちゃんが髪の毛をバッサリと切ることがあったら、ぜひヘアドネーションを、と思っていました
先日たまたま、ヘアドネーションを行っている団体の記事を読みました
端的に言うと
目から鱗が落ちた
良いとか悪いとかではないので、ただ箇条書きにします
人毛からかつらを作るのには、人工的にかつらを作るよりもお金がかかる
人毛からかつらを作るのには、人工的にかつらを作るよりも時間がかかる
そして、例えば子ども用のかつらを作る時に、人毛の方が良いとか人工毛の方が良いとかはない
その団体が願うのは、ヘアドネーションが世の中に行き渡ることではなく
髪の毛があってもなくても同じように生活していける世の中になること
なかなか難しいということはわかっているけれど
私が娘に伝えていかなければならないのは、そういうことだと、改めて感じたのでした。
手段が目的になってはいけない
善意が自己満足になってはいけない
(でも、やらないよりはやった方が断然良い)
そして
・・・何事もまずは自分から!
写真は、
「おかあさんにプレゼントがあるよ!」と言って、くれたイカです。
どうしてイカ。。。
「普通って何?大切なのはオリジナリティーよ」
最近、お守りにしているセリフです。
(知っている人いるかな)
「普通」がなければ、
「できる」もなくて、
そうすると「できない」もなくなる。
そうなれば、
自分の基準(オリジナリティー)の中で生きていける。
「できない」を気にしなくて良いし、
「できる」を目指さなくても良い。
特に今の自分にとっては、この
「『できる』を目指さなくて良い」
というのは、とっても重要なことです
子どもは本当に、オリジナリティーの塊。
でも、せっかくオリジナリティーだけを持って生まれてくるのに、
いつの間にか周りを基準にした「比較」の世界で「評価」されて、
「できる」か「できない」か「普通」に分類されてしまう!
目指すべきは、オリジナリティー!
もちろん、その「オリジナリティー」は「個性的」とは別物ですよ。
良いものでもないし、悪いものでもない。
誰のものでもない、「自分」だけのものです。
お手製の「デコちゃん号」に乗るデコちゃん。
まだまだオリジナリティーの塊です。
※モザイクをかけた方が良いのでは、っていうくらい似ています※